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矢野 健太郎(やの けんたろう、1957年10月3日 - )は、日本の漫画家。 大阪芸術大学芸術学部デザイン学科を、4年次に中退(単位ミスにより)。大阪芸術大学漫画アニメーション研究会「グループCAS」の創設者。 == 略歴 == 「矢野」姓は本名であるが、ペンネームの全体は学生時代に恩師があだ名として付けた、同姓同名の数学者に由来する。元々のペンネームはニンベンを取った「矢野建太郎」の筈であったが、1981年に『強化戦士アームピット』(週刊ヤングジャンプ)でデビューしたときに名前を誤植で間違えられ、数学者と全く同じ漢字で掲載されてしまった。これを訂正せず、以後現在に至るまでそのままのペンネームを使い続けている。『ネコじゃないモン!』のようなドタバタラブコメから、まったく救いのないダークホラーまで、幅広い作風を持つ。 パソコンゲーム雑誌『テクノポリス』(徳間書店)にゲーム紹介漫画『ゲームジョッキー』を連載するなど、8ビットパソコン当時からゲームに着目しており、特に1986年から1988年にかけて『ホビーズジャンプ』で掲載された『ネットワーク戦士(ウォリアー)』では、インターネット普及前で300bpsの音響カプラによるパソコン通信が主流の時代に、「オンラインゲームの世界にプレイヤーが取り込まれる物語」を描いていた。 大学時代のエピソードが島本和彦の『アオイホノオ』に僅かながら紹介されている。本人をモデルにした矢野ケンタローと島本和彦をモデルにした炎モユルとの出会いのシーンは、CASに訪ねてきた島本との出会いという実話(但し、島本視点による)に基づいている〔アオイホノオ放送時における本人の実況ツイッターによる〕。 大学時代同様、現在も自転車を愛好している〔但し、アオイホノオに掲載された様に赤いフレームの自転車ではなく、緑色のフレームで、弓月光の紹介により宮尾岳によって、修理が施された。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢野健太郎 (漫画家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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